東日本大震災発生後の観光地の現状 第1弾 松島(2011/5/15)

報道では松島が防波堤となり、津波から市民を守ってくれたという事で知れ渡りました。
震災から2ヶ月経った現在では確かに今までと変わらない感覚で観光できるというところまで復興しています。

まずはアクセス。東京~車で行くとなると高速道路は開通していますが所々波打っている箇所も残っています(80km規制の区間もあります)。それでなくとも5~6時間はかかってしまうので、一般的には新幹線が開通したのでそちらを利用されたほうが便利です。東北最大の都市仙台まで新幹線で…現在のダイヤでは「やまびこ」で2時間半かけて到着できます。
そこから在来線で従来ですと30分もあれば楽々松島に到着できたのですが現状としては仙台から東塩釜までが運行しており、そこから松島までは代行バスが運行しています。

この代行バス、地元の観光バスを利用しているので車内からの見晴らしが良く、ちょっとしたバス旅行気分に浸れます。松島海岸駅員に尋ねたところ、松島までのJR線は5月中には開通する見通しとの事です。それ以降(石巻方面)は未定だということです。確かに石巻で線路を見た際には未だ手付かずの様子で、線路には多数流された車を目撃しました。

駅から歩いてまず訪れるのが国宝の瑞巌寺。伊達政宗の菩提寺として有名な荘厳な建物です。山門から杉木立を歩くといささか戦国時代の将軍気分に…もともと数年前から修繕工事を行っていたので本堂が工事中なのは変わりませんが特別公開中の箇所は問題なく拝観できます。

瑞巌寺を後にすると松島遊覧船乗場が見えてきます。ここは後で訪れることにしてまずは五大堂を訪れましょう。

五大堂に渡る朱塗りの橋は安全に渡ることができます。ご覧の通り灯篭は地震の影響で倒壊しておりましたが桃山建築様式の見事な建物はしっかり残っています。

このあたり一体が観光施設、土産物屋や食事処が立ち並ぶ賑やかな場所になります。さすがに建物の1階部分は津波の被害にあっていますので所々その爪あとが残されていますが、どこも元気に営業を再開しております。

通な旅人でしたら、ここへきたらやっぱり食したいのが牡蠣ですね。地元の牡蠣の養殖が復興するには大分時間を要するようですが、それまでは地元の牡蠣ではありませんが、炭で焼牡蠣を販売したりしていて要望に応えている様子でした。このボリュームで500円!うーん美味い!少し話はそれますが、震災の影響かどうか現地ではカードが使えない場所が多く感じましたので、これから東北へ訪れる計画がある場合は現金をご用意いただくのが無難なようです。

そしていよいよ松島遊覧へ…すでにGWより営業再開されており、現場は活気に満ちていました!松島の島々は津波によって部分的に欠けてしまった箇所もありますが、ほとんど当時のまま遊覧できます。これを利用し、松島観光の締めくくりは塩釜まで船旅をしてみませんか?そして仙台へ戻ったら何といっても牛タンですね。名店といわれるお店は多少値段がはりますが、この際復興支援と考えて一度お試し下さい!その肉のボリュームと柔らかさ、きっとご満足いただけると思います。

さて、実は今回の調査が実現できたのは石巻災害ボランティアツアーに参加したことによります。台湾観光協会がバスを用意していただいたおかげで参加できたというとてもありがたいものでした。 という事で5/13-15の日程で災害ボランティアとして、宮城県の石巻へも行って参りました。ここからはボランティア活動を実際に行って今回個人的に感じたことを記述したいと思います。

石巻は東北有数の漁港を擁する港町で、今回の震災の津波で被害にあった町のひとつですがボランティアの受け入れ体制を早くから確立し、復興活動がさかんに行われています。 ボランティアセンターへ申し込みをすると、当日数名グループに振り分けられて指定された活動場所へ向かいます センター敷地内ではテント暮らしをして活動しているボランティアの方々がいたのが印象的でした。かなり長期にわたって活動されている様子でした。

私が向かったのは民家で1人暮らしのおばあちゃんの片付けの手伝いでした 大きな道路はなんら変わりなく見えましたが一歩路地を入ると景色は変わります 震災から2ヶ月が経ちますが、車は家の塀に乗り上げられたまま、親戚のお宅へ非難したっきりで片付けもなんらされていない民家なども多数見受けられました

片付けには大量のゴミが発生しますが、市民レベルでは廃棄のスピードが復興につながるのだなあと感じます。自分の家は自分でというのが基本的なルールですが、お年寄りにはとうてい無理な話でボランティアの存在はとてもありがたいと思います。たいした手伝いはしてないと感じても涙を流して感謝されるはそういう事だと理解します。



ボランティアセンターに申込みをしてもすぐには来てもらえないのが現状のようで、人が足りないとはこのことかと実感します。ただ、ボランティアにくる人間のほとんどが専門業者でもなければ、地元の人間でもないので土地勘もありません。
そんな素人が日本全国、世界各国から集まるのですからボランティアを呼ぶ側もただ単に呼ぶのではなく、どんなお手伝いが必要でそれにはどういった準備をすればよいかをある程度予測や調査をする必要があります。
センターでは住民からヒアリングした注文書のようなシートを作って対応していましたが、現場では細かい問題も起きています。
例えば依頼者もボランティアの人間も初めての場合、依頼内容にどんな準備や資材が必要なのか検討つかないと思います。センターには資材類が揃っているのにこれでは宝の持ち腐れになります。
又、その作業は力作業でしたら男性がある程度必要ですし、片付けに出るゴミを自宅の敷地外へ出す場合には近隣住民との合意が必要です。勝手な廃棄行為は近隣の方にご迷惑がかかりますし、何といっても作業するボランティアの方々に直接抗議されては善意が台無しになってしまいます。
又、現場では工事業者などの方とも接触します。ボランティアは素人ですから自分たちの仕事の邪魔になる場合もあるのでしょうが、近隣の方同様に作業するボランティアの方々に直接抗議されては善意が台無しになってしまいます。
そういったクレームを受けなくても良いボランティアの作業環境作りが大事なのではないかと思いますが、そこまでは難しいことなのでしょうか?
活動後、ボランティアでは手に負えそうにない、被害の大きい漁港のほうへも訪れましたがまだまだ復興には時間がかかりそうな状態でした。車や船が当時のまま放置状態で残されているのが印象的でした。

最後に、活動終了後センターで作業報告した後、ボランティアの方の為にカレーライスの炊き出しを行ってくれた方々の温かいおもてなしは大変嬉しく感じました。災害後には災害にあった方への支援に目が行きがちですが、こういった支援の仕方もあるのですね。